JEE JEEの死
2007年12月


お父さんへ

お父さんが好きだった歌を聞きながら、読んでください。


 「風に立つライオン」 さだまさし



父のお通夜で、この曲がかかり、歌詞が朗読されました。


2007年12月11日 シドニーより関空に向かう機内にて

お父さん

生きていく中で、いつかは迎えなくてはいけないお別れの時期
それが、このタイミングだったんですね。
正直、つらいな・・・。

せっかく、あと4ヶ月で、定年退職を迎えて、第2の人生を始めようとしていたのに。

つい、1ヶ月ちょっと前、僕が日本に帰った時に言ってたやんナー。
この時期に、体にちょっと危険信号が出たから、第2の人生に向けて、今のうち治そって・・・。
第2の人生に向けて、あと4ヶ月、すごい楽しみにしていたやん。
おじんパッカーになって、2,3年かけてアジアや南米を世界一周したいなーって。
第2の人生でも、特に健康的に動けるのは、60代前半やから・・・って、張り切ってたのに・・・・。

お父さんも、こんなタイミングで(人生が)終わると思わんかったやろうし、残された僕たちにとっても、正直辛いよ。

どこまで記憶にあるのかな?お父さん。 倒れて、すぐに記憶がなくなったんかな。
本当は、救急車がすぐに来てくれていたら、もしかしたら、大丈夫やったかもしれんのに・・・。
今までと同じ、軽いので済んだかもしれんのに・・・。


日本に10月に約3年ぶりに帰ったのは、今振り返ると、本当に良いタイミングだったんだなー。
お父さんの最後の健康な姿にも、会えてね。
まさか、あの時は、こんなことになるなんて、夢にも思わなかったけど・・・・

アデレードに来て、すぐの6月くらいやったっけ? お父さん達がアデレードに来てくれたのは・・・・
僕は、それ以来だったから、すごい久しぶりに感じたよ。 Skypeのテレビ電話で画像を見ながらよく話はしていたけど、生身で話をするのは違うもんね。

日本に帰った時、久しぶりやったから、正直、年をとったなーって感じた。 
今までだったら、俺の話を、最後まで聞いてたことを、途中で切り上げるような形で、終わったりね。
この3年でも、お父さんには、色々あったもんね。

仕事のことは、あんまり詳しくはわからんけど、色々大変で、髪の毛が抜けてもたもんなー。
責任感を持って、やってたんやろなー。
それが、かなり体をむしばんだんかもしれんなー。
お父さんが最終的に、逃げずにやったんは、自分のポリシーやったやろうし、仕事のせいにしたところで意味がないけど、
もう少し楽な50代後半やったら、この状況が変わっていたかもしれないなーと思うと、ただ、涙が出ます。
結果論やから、何を言っても、意味がないんだけどね。
ただ、結果が取り返しのつかない事だけに・・・・、 だから、どうやったら・・・と言うのは、ナンセンスだけど、涙が出ます。

お父さん、人生、幸せやったか?楽しんだか?
やり残したことはあると思うよ。いきなりやもん。あまりにも終わりが。
それは、もう、しゃーない。涙が出るけど、しゃなーい。 
けど、今までの人生が、「それはそれで、よかったんちゃうか!」 と思えるんやろなーと思うし、それであれば、僕も良かったです。

僕にとって、お父さんは座標の軸みたいなものでした。
本当に、感謝しています。僕が34歳になるまで、生きてくれてありがとう。
本当は、お父さんが退職して、それからどういう人生を歩むか、すごい楽しみにしていた。

僕が、ジョンソン・エンド・ジョンソンを辞めて、海外生活をしたいと話した時も、応援してくれたのは、嬉しかった。
正直、50代だとそんな外れた人生、ありえないやろうし。
その応援がなかったら、僕たちの今の生活はなかったと思います。
SUMINから聞いたけど、「カッパは、俺を超えた。俺もそういうのをしたかったんや。」って、言ってたって。
俺は、ぜんぜん超えてないです。


僕自身、なぜかと聞くと、よくわからないけど、海外に行きたい、住みたいと思ったのは、お父さんの影響だと思います。
お父さんは、仕事で何10カ国と行ってるよね。
僕が幼稚園の頃には、インドに行ってたり、そしてインド人の友達が菅の台に引っ越して間もない頃に来たのを覚えています。
小学校の頃は、中国に行っていて、金貨のお土産を買ってきてくれたのを思い出します。
他にも、ブラジル、ロシア、イタリア、ドイツ、フィリピン、色々行ってたやん。
そうやって、世界に飛び出す姿は、僕の人生観に大きな影響を与えたと思います。

最近は、フィリピンやタイのチェンマイによくゴルフで行ってたやん。
オーストラリアに住んでいる僕やけど、そういう物価の安い国の魅力が、よくわかるんで、
3年とか5年とかしたらロングスティしている場所に、僕達家族でしばらく遊びに行きたいなって、思っててんで。

考えたら、60歳近くになって、英語をしゃべる姿、しゃべろうとする姿もかっこよかったよ。
もちろん、年やから、お父さんが若いときほど、英語の喋りに切れがないかもしれんけど、SHO(長男)に対して、英語でしゃべってたやん。
そういう、姿勢って好きやったなー。

3月いっぱいで、ちょうど仕事人生がゴールを迎え、第2の人生スタートをアデレードのロングステイから、って話に10月に帰った時になったでしょ。
あまり、冬の時期は、天候がよくないんで、4月後半くらいから来て欲しいナーって思ってた。
ちょうど、3番目の子供が生まれるし、2人の孫とも楽しめるし、その時に、一緒に過ごすのが、僕たちにとっても、最初の親孝行やと思ってたよ。

あと、僕が始めた新しいビジネス Go Go Adelaide Map それも見て欲しかった。
今、一生懸命作っているけど、かなり本気で、いい物を作ろうと頑張ってるねん。
それが完成して、1月後半には、配り始めるけど、評論して欲しかったのが、お父さんやったんや。
学生や短期旅行者、移住して来た人達をTargetにしているけど、
顔を思い出しながら、きびしくやさしい評論をしてくれるやろなー、ってイメージしていたのが、ロングステイヤーとしての、お父さんやったんや。
まだまだ改善しなあかんところも、あるやろ。それも聞きたかった。そして、「いいもの作ってるやん。」って言う言葉も欲しかった。










2007/12/12 朝6時(日本時間)

お父さん、アデレードで最初の一報を聞いたとき、信じられなかったし、今、最後のお父さんの姿に会っても、どうも信じられないよ。
額縁に入ってる写真の笑顔、その笑顔がまたすぐに、起きてきて、見れるんじゃないかなーって。

だって、まだ59歳やろ。いきなり、終わるタイミングじゃないやろ。僕の人生に与えた、お父さんの影響は、大きすぎる。
僕が日本での仕事を辞めて、海外に移住すると言う、日本では常識外れのことをしようとした時に、一番応援してくれたのは、お父さんやん。
俺もそういうのがしたかったって。俺がしたかったけど、出来なかったって。
お父さんが仕事で海外に飛びまわる姿を見て、自分もいつしか海外をフィールドに頑張りたいと思うようになっていた。

僕が家族を大事にする姿を見て、なんでカッパは、そんなに家族思い何や。って、言うけど、それはお父さんの、後姿を見、家族への思いを感じてきたからです。









2週間が経って、アデレードに戻ってきて
2007年12月22日(土) 深夜


まもなく、あの時から2週間が経つ。僕にとって、この2週間、僕の人生にとって、とても大きなものを失いました。

父親の死。

あまりにも、突然の死で、日本に帰国して、葬儀に参列して、そして最後のお父さんに会っても、未だ信じられないでいる。
今、こうやってパソコンに向かっていても、SKYPEでメッセージが来たり、テレビ電話出来るのではないか・・・・と。

現実を受け止めれないのか・・・・。

日曜日の朝、倒れる直前の金曜日まで普通に仕事をし、前日の土曜日には、好きなゴルフで優勝もしていたそうだ。
そんな元気な父親が日曜の朝に突然倒れ、そのまま意識が戻らないまま、1日も経たずに、この世界を去ってしまった。

10月に日本に帰った時は、非常に元気だった。
来年の3月でゴールを迎える60歳の誕生日と、その後のセカンドライフについて語っていた。
南米をおじんバックパッカーで周るんだ。とか、タイのチェンマイで過ごしたい。今、会社でしているフィリピンの仕事関連で、会社を始めようとか・・・・・

60歳になろうとしても、新しいことにチャレンジしようとする、海外に飛び出そうとする父親がかっこいいと思ったし、どういう人生を歩んでいくのか、見届けたかった。

団塊の世代の父親にとって、仕事は人生の中心だった。仕事が好きだった。
その父親が、あと少しで人生を最も費やした仕事のゴールだったのに・・・・。 そして、次の目標に対しても、輝いていたのに・・・・

僕にとって、父親の存在は、最大のサポーターだった。
仕事で、20カ国以上の国で仕事をしてきた父親の姿が、父親の海外への気持ちが、僕に大きく影響を与えた。
僕が海外に移住する事を話した時も、一番応援してくれた。
アデレードに来て、アデレードドリームを始めたのも、パソコンを使いこなし、チェックしてくれる父親に発信する為だった。
僕の人生にとって、座標の軸のような存在だった。

この10月に日本帰国したのが、結果的に最後の父親の元気な姿との対面になってしまった。
20年ぶりに、父親の田舎・広島県三次に一緒に帰省したり、広島に一緒に旅行に行ったのが、まさか最後になろうとは・・・・

SKYPEでは、顔を見ながら話をしていたが、実際2年ぶりくらいに会って、少し父親も年をとってきたな・・・と感じた。
僕が30代半ばなのだから、それは必然なんだな・・・・って、思っていた。
そうやって年をとりながらも、60代を迎え、それでもかっこいい生き方をみたかった。

3月末で定年退職し、4月にロングスティでアデレードに来る予定だった。
3人目の孫、もしかしたら初の娘?を抱いて欲しかった。
その機会に、ゆっくり話をしたいと思っていた。
現役から退き、第2の人生を歩み始めた時に、仕事をしてきた約40年を振り返っての総括を聞きたいと思っていた。
僕の始めた仕事について、実際見てもらってのアドバイスも欲しかった。


心にぽっかり開いた大きな穴。
あまりにも突然すぎて・・・・
お父さん自身も、最後がわかっていたら、色々な人に色々なこと、伝えたかったやろーな。
母親や、俺たち息子に。

僕が選んだこの道を突き進み、家族で幸せに暮らしている姿があれば、お父さんは喜ぶだろうな。それを信じて、僕は、突き進もう。


高校を卒業して、すぐに実家を出て、約16年。
物理的にそばにいる人ではなかったけど、心の視界では、必ず近くにいて、その存在が、僕にとっては基点だった。
まだ、色々と学びたかったんだけどな。もっと、話をしておけばよかったな。お互い忙しい人生やったもんな。

お父さん、これからは、ゆっくり休んでください。
雲になって、風になって、世界を駆け回ってください。そして、たまにはアデレードにも来てくださいね。
さよなら。お父さん。

こうやって、書いていると、又、読んでもらえるんじゃないかなーって思って書いてます。

けど、さよなら。





風に立つライオン
詞・曲 さだまさし

突然の手紙に驚いたけど嬉しかった
何より君が僕を恨んでいなかったということが
これからここで過ごす僕の毎日の大切な
よりどころになります ありがとう ありがとう

ナイロビで迎える3度目の4月が来て今更
千鳥が淵で昔君と見た夜桜が悲しくて
故郷ではなく東京の桜が恋しいということが
自分でもおかしい位です おかしい位です

3年の間あちらこちらを廻り
その感動を君と分けたいと思ったことがたくさんありました

ビクトリア湖の朝焼け 100万羽のフラミンゴが
一斉に飛び発つ時 暗くなる空や
キリマンジャロの白い雪 草原の象のシルエット
何より僕の患者たちの 瞳の美しさ

この偉大な自然の中で病と向かい合えば
神様について ヒトについて 考えるものですね
やはり僕達の国は残念だけど何か
大切な所で道を間違えたようですね


去年のクリスマスは国境近くの村で過ごしました
こんな所にもサンタクロースはやってきます
去年は僕でした
闇の中ではじける彼らの祈りと激しいリズム
南十字星 満天の星 そして天の川

診療所に集まる人々は病気だけれど
少なくとも心は僕より健康なのですよ
僕はやはり来て良かったと思っています
辛くないと言えば嘘になるけど しあわせです

あなたや日本を捨てたわけではなく
僕は「今」を生きる事に思いあがりたくないのです

空を切り裂いて落下する滝のように
僕はよどみない命を生きたい
キリマンジャロの白い雪 それを支える紺碧の空
僕は風に向かって立つライオンでありたい

くれぐれもみなさんによろしく伝えてください
最後になりましたが あなたの幸福(しあわせ)を
心から遠くから いつも祈っています

おめでとう さようなら 





amazing grace が曲間と最後に入り、思わず涙が出ます。
この曲の2番は、お父さんの気持ちだったのか・・・・? 僕のありたい気持ちでもある。

くれぐれもみなさんによろしく伝えてください
最後になりましたが あなたの幸福を
心から遠くから いつも祈っています
おめでとう さようなら 


お父さんの最後の言葉の気がして・・・・




Live版のもっと感動する 風に立つライオン