移住への布石 〜外国に興味を持ち始めたのは〜
小学生の時から外国や外人に興味を持っていた記憶がある。
まだ小学1,2年の頃、父親が家にインド人を連れてきたからかもしれないし、
父親がインドやブラジル、イタリア、ロシア、中国と、色々な国に海外出張に行っていたからかもしれない。
その中で一番衝撃的で、自分の人生ではずせない思い出が、小学6年生の時にあった。
大学生のオリンピック、ユニバシアード神戸大会での事だ。
8月24日が開会式で、9月4日が閉会式だった。今もはっきりと日にちまで覚えているから不思議だ。
僕を含めた周囲の小学生は、開会式にマスゲームで参加をした。ただ、それは、外人と交流という接点はあんまりなかった。
実は、大会期間中、家から地下鉄で2つ離れた駅に、選手村ができたのだ。
そこに、友達と二人自転車を片道40分程走らせて、選手に会いに行ったのだ。
当時の二つ隣りの駅と言うのは、自転車を乗って行ったとはいえ、未知の世界だった。
そこに、未知の人間が大勢いるのだから、そりゃもうワクワク、ドキドキだった。
選手村を出入りするの選手達に駆け寄っては、大学ノートを出して「サイン、プリーズ」
当時の僕は、英語を習う前の「this is a pen.」さえも知らない小学生であるから、
相手の顔の反応が唯一のo.k.かどうかの判断基準(今もある意味一緒だが・・・)。
さすが子供の力 7割位はサインを書いてくれた。
大学ノートの1ページに3人位のサインを書いてもらう。
(たまに1ページ丸まるサインを書いてくれる外人もいたが・・・、その時はページがなくなってしまう・・・と思い、迷惑だった)
今から考えたら、色紙ではなく大学ノート、サインペンではなくボールペン、相手の名前も成績もまったく知らない。
今から考えたら失礼な話だと思うが、そんなの小学生の自分は、まったく考えていなかったのだろう。子供の怖いもの知らずってやつだ。
白人や2m以上ある背の高い人、民族衣装を着た人、色々いた。
中国や韓国の人(当時はわからなかったが)を見て、「日本人と同じ顔なのに、日本語がしゃべれない人もいるんだ」って思った。
黒人にサインを書いてもらう時、「肌が真っ黒でも、手のひらはピンクなんだ」と、ペンを持っている手を見て気がついた。
本当に色々な国の人に出会えて、何も会話なんて出来ないんだけど、満面の笑顔を見せて「thank you!」と言った後、
相手の顔に笑みが見えた時に、通じた気がした。
そんな色々な体験をした、小学生の夏休みの3,4日だった。
その時に、「英語でもっと話したい」と思ったかは、今となっては記憶にないが、あの衝撃だけは今も忘れられない。
そして、それは、20年後の今回の行動の布石だった気がする。
2005年7月30日
KAPPA