日本人にとってのアデレード

第2弾 F1開催地だった都市





今の30代の人達は、1990年前後の、F1(フォーミュラワン)ブーム到来時に、F1に興味を持った人も多いと思う。僕もその1人だ。
そんな人達の中には、F1がきっかけで、アデレードを知った人もいるのでは?
なんせ、当時のF1で、もっとも記憶に残るレースの1つがここアデレードで行われたのだから・・・。


日本の鈴鹿でF1世界選手権が始まったのは、1987年
その2年前の1985年から、毎年11月初旬の最終戦に、オーストラリア・グランプリとして、アデレード市街地サーキットが登場した。

1985年から1995年まで11年間、F1オーストラリアGPとして世界の多くのモータースポーツファンに愛されたサーキットだった。

この市街地サーキットは、一時的に一般道を封鎖して造られたサーキットで、
アデレードの中心街(CBD)と、そのCBDを囲む公園の東側(East Parklands)をメインに構成されていた。


サーキットのコース自体は、市街地サーキットとして、長い歴史と伝統のあるモナコ・グランプリの様な、数センチ単位でコンクリートの壁に迫るような厳しいものではなかったが、
ドライバーとギアボックスにとっては、悪評高い厳しいサーキットだった
。ただ、アデレードは最終戦と言う事もあり、チームにとっても、ドライバーにとっても、終わった後の大きなパーティーが待っている、リラックスできる特別な地でもあった。

観客にとっては、抜き所(Overtake point)のある、見ていて楽しい市街地サーキットなのだ。

ここでのF1は、1週 3.780kmのコースで、82周 309.96km(85-88年)/ 81周 306.18km(90年-95年)で競われていた。

1985年から1995年まで11年(回)F1オーストラリアGPとして開催されたが、日本人にとって外す事が出来ないレースは、1989年11月5日に行われた雨の中でのレースだろう。



「中嶋悟と雨のアデレード」

日本人初のF1ドライバー・中嶋悟が登場するや、日本ではF1ブームが到来した。
中嶋悟は、87年のF1デビューから、名門ロータスに所属していた
(87年・88年はホンダエンジンをのせ、ワールドチャンピオンの経験のあるセナやピケがチームメイトだった)が、
89年はホンダエンジンも失い、競争力を失い、満足のいかない結果の年だった。

彼は、日本国内のレースで活躍していた頃から雨のレースを得意とし、「雨のナカジマ」と呼ばれ、
ドライバーの真価が問われる雨の難しいレースで着実に順位を上げていくレーサーだった。
その「雨の中嶋」伝説で今でも語り継がれている、もっとも有名なエピソードが、ここアデレードでの走りだったのだ。


「最も乾燥した大陸の最も乾燥した州都」と言われている雨が少ないアデレード
11月が特別雨の多い季節ではないのだが、1989年の決勝は、土砂降りの雨の中レースが行われた。

この年のチャンピオン・プロストは雨で危険と判断し「棄権」
レース1周目にはアクシデントで赤旗がでたり、セナも13周目までトップで走りながら、リタイアするなど、コース各所で接触・追突・スピンがあり、大荒れのレースだった。

予選を失敗し23番グリッドからスタートした中嶋は、戦闘力の劣るマシンであったにもかかわらず、ドライバーの多くがどんどんと雨で滑りやすくなった路面でクラッシュし、
消えていく中、次から次へと追い抜き、 最終的には4位まで来たのだった。

2時間ルール(規定周回数を走らなくても、2時間を越えた最初のチェッカーでレース終了というルール)の為、3位には入れなかったが、
もう少し時間があれば、間違いなく3位表彰台と言われたレースだった。
走りはとても輝いていて、今だ日本人は誰も記録していないファステストラップ(レース中の周回で最も早く1周を走った人のタイム・1分38秒480、64周目)を記録したのだ。
残念ながら、日本人初の表彰台にはならなかったが、この年のオーストラリアGPで最も輝いた走りをしたドライバーだった。

この結果は、17年たった06年末現在でも、日本人が残した唯一となるファステストラップとなっている。




雨の中を走る中嶋悟

1989年のF1世界選手権のレースカレンダーと勝利ドライバー&チーム

Round Date サーキット Winning driver Winning team
開幕戦 3月26日 ブラジル Jacarepagua ナイジェル・マンセル フェラーリ
2 4月23日 サンマリノ Imola アイルトン・セナ マクラーレン・ホンダ
3 5月7日 モナコ Monaco アイルトン・セナ マクラーレン・ホンダ
4 5月28日 メキシコ Hermanos Rodriguez アイルトン・セナ マクラーレン・ホンダ
5 6月4日 アメリカ Phoenix アラン・プロスト マクラーレン・ホンダ
6 6月18日 カナダ Circuit Gilles Villeneuve ティエリー ブーツェン ウィリアムズ・ルノー
7 7月9日 フランス Paul Ricard アラン・プロスト マクラーレン・ホンダ
8 7月16日 イギリス Silverstone アラン・プロスト マクラーレン・ホンダ
9 7月30日 ドイツ Hockenheimring アイルトン・セナ マクラーレン・ホンダ
10 8月13日 ハンガリー Hungaroring ナイジェル・マンセル フェラーリ
11 8月27日 ベルギー Spa-Francorchamps アイルトン・セナ マクラーレン・ホンダ
12 9月10日 イタリア Monza アラン・プロスト マクラーレン・ホンダ
13 9月24日 ポルトガル Estoril ゲルハルト・ベルガー フェラーリ
14 10月1日 スペイン Jerez アイルトン・セナ マクラーレン・ホンダ
15 10月22日 日本 Suzuka アレクサンドロ ナニーニ ベネトン・フォード
最終戦 11月5日 オーストラリア Adelaide ティエリー ブーツェン ウィリアムズ・ルノー


1989年最終戦 オーストラリアGPの決勝結果
1989年11月5日

1周 3.780km
309.96km(82周) の予定だったが、2時間ルールの為、264.6kmでレースは終了
最初の13週目までは、アイルトン・セナがトップ
14週目以降は、ブーツェンがトップ

Pos Driver 出身国 Team Laps Time/Retired Grid Points
1 ティエリー ブーツェン ベルギー ウィリアムズ・ルノー 70 2'00:17.421 5 9
2 アレクサンドロ ナニーニ イタリア ベネトン・フォード 70 28.658 4 6
3 リカルド パトレーゼ イタリア ウィリアムズ・ルノー 70 37.683 6 4
4 中嶋悟 日本 ロータス・ジャッド 70 42.331 23 3
5 エマニュエル ピッロ イタリア ベネトン・フォード 68 + 2 Laps 12 2
6 ピエルギーニ マルティニ イタリア ミナルディ・フォード 67 + 3 Laps 3 1




右下のトラック内がピットなどのあるスタート地点
赤い線がF1時代のサーキット
現在は、黄色い線を使った短いコースとして利用されている。





2006年の「CLIPSAL500」 の風景
クリプサルという電力会社が冠スポンサーとなり、この1戦が行われるので、クリプサル500 と言われている。

国内シリーズでは最も大きい、V8 スーパーカーシリーズの一戦でもある。




  

アデレード市街地サーキットは、市街地(CBD)のもっとも東端の道路と、郊外へ連絡する道を使って行われている。
その囲まれた公園は、緑豊かな公園で、普段は非常に静かなのんびりした所
競馬場として使われているのかな?(たぶん、つかわれていない・・・)  広々とした芝が広がっている。




  

左) 競馬場内のサーキットは普段は広場(公園)になっているので、一般車が入ってこれないようになっている。
最後の緩やかな左カーブ  車は手前から奥へ ちょうど、ドライバーの視点と同じかな・・・

右) ドライバーの視点 右側に入ると、ピットレーンの入口
左側がレース・コース の分かれる所
1年の内、サーキットとしては数日しか使わないけど、タイヤの跡で迫力が伝わってきます。




    

左) スターティング・グリッドを一番前から撮影

右) 向かって左側のピットレーンとレースコースの合流地点
レースの時は、仮設の観客席ができ、雰囲気が全く違う。



           

アデレード市街地サーキットは、その名の通り、一般道がメイン
左・中) サーキットに使われる一般道の路肩には、普段からカラフルなサーキット用の路肩が見られます。






    

左) V8 スーパーカー レースが 現在も毎年3月に行われている。              右) これが、F1当時のサーキット 今よりも一回り大きいコース









ピットレーンを出て最初のカーブが、ここセナシケイン
F1がメルボルンに移った今でも、ここはセナ・シケインと呼ばれている。
その場所には、今もセナの手形が残っている。

  


左上) 写真の奥の方から走ってくる

右上) 手前から写真奥に向かって走る。 左側の芝生内に碑があるのがわかる。
シケインの奥・右側にはレース期間外も砂利が敷き詰められている。



    

アイルトン・セナの人生最後に優勝したのも、ここアデレードだった。
アデレードには、F1ドライバーにも色々な思い出を残した事だろう・・・


アイルトン・セナ

このサーキットと、アイルトンセナの相性は良く、6回ポールポジションを取っている。

1993年の最終戦では、長年に渡り「世紀のライバル」「犬猿の仲」と呼ばれ、
敵対してきたセナとプロストが表彰台の上で和解の握手をし、1つの時代の終わりの象徴したレースだった。

また、1994年に事故死したセナにとって、アデレードでのレースが最後の優勝となった。


当時、JJレートというドライバーがいたので、「アデレード」やったか、「アデレート」やったかうろ覚えで、
どっちやっけ?とよく思っていたのを思い出す。





     

ゲルハルト・ベルガー ディビッド・クルサード ニキ・ラウダの手形




そして、なんと王者 ミハエル・シュマッハー
オーストラリア的に言うと、"マイコー・シューマッカー" の手形

アデレード市街地内のハット・ストリートにて





史上最短グランプリ

1991年にも実は、89年の再現の様な豪雨の中レースがあり、「雨の中嶋再び」と期待がかかった。
セナがトップを走り、2、3番手にマンセルとベルガーが走っていたが、両者がぶつかり、「レース続行不可能」と判断、
そのままレースが終了になり、史上最も短いグランプリに。(14周・約24分)



 最後の開催となった 1995年

アデレードは4日間の観戦者が52万人 レース当日は、21万人と異例の数字を記録した。

決勝レースでは上位陣が次々とリタイアし、優勝したデイモン・ヒルと2位のパニスの間に2周半もの大差に・・・。
優勝者が2位以下を2周以上周回遅れにしたF1史上唯一のレース



F1 アデレードグランプリの終焉

このせっかくの世界に誇るイベントも、1993年の後半、南オーストラリア州で権力争い(選挙)をやっている間に、
肝心の大イベントの契約更新するのを忘れて(まではいかないと思うが・・・?)、
メルボルンの実業家(現在、メルボルン・グランプリの会長)がかなりの大金を使い、ビクトリア州政府と手を組み、
1996年以降のF1開催権を取っていってしまったのだ。

ちなみに現在は、メルボルンのアルバートパークで。毎年開幕戦としてF1が開催されている。



その後のアデレードグランプリ

1999年からは、オーストラリア国内の自動車レースとしてはもっとも大きいAdelaide 500(V8スーパーカーレース)が、
短いバリエーションのコースとして、開催されている。

もっと、見たい人は
裏ページ

2005年6月、2006年9月 撮影
2006年11月 公開
KAPPA