2人で2ヶ月36万円の旅 〜ユーラシア大陸横断バックパッカーの旅〜


第11話 再びイスタンブール そして帰国     (ハンガリーからトルコ・イスタンブールへ そして帰国!!)



とうとう2ヶ月半の旅行にピリオドを打つために、またトルコ・イスタンブールへ向かった。
イスタンブールまでは、国際列車で移動していた。
一昼夜かけて走るのだが、イスタンブールよりはるか遠く離れた場所で、電車が急停車した。
客の一人に聞いてみたら、「イスタンブールのあたりで、大地震が起こったために、緊急停車したらしい。
「またまた〜、大げさだから・・・働け〜!ちゃんと電車を走らせろ!!」ぐらいに、軽く考えていた。




ハンガリーから、ブルガリア、ルーマニアと走りぬけてトルコ・イスタンブールへ向かう途中でした。
この時は、そんな大地震が起きてるとは思いませんでした。



程なく列車は動き出し、「初めからたいしたこと無かったんだ・・・。」と、思っていた。
しかし、イスタンブールに着いて驚いた!とにかく街に人があふれかえっていた。
特に、モスクなどの前には「イベントでも始まるのかな?」と、思えるほどだった・・・。
私たちが、地震の状況を知ったのは、安宿のテレビでだった。
しかも、すごい人が瓦礫の下に埋もれて亡くなっているというのだ。
「本当だったんだ・・・。」と、驚きと、ショックでしばし呆然とした。モスクの前に来ていた人々は、被災者だったのだ。

KAPPAのちょっと情報コーナー

トルコは日本と同じ様に地震国という側面があります。
トルコ内で死者が100名以上だった大地震は戦後だけでも、今回の大地震までに16回を数えています。
今回遭遇した地震は、1999年8月17日 午前3時(現地時間) トルコ北西部・イスタンブールの約100km西のイズミット近郊を震源とした
日本の阪神大震災と同じ活断層を原因としたM7.4の17000人以上の方が亡くなる大地震でした。
イスタンブールでも、数十件のビルが倒壊しました。 




私は、帰国の準備にかかった。土産物を買いに、グランドバザールをウロウロした。
バザールの商人達は「日本人かな?」と、分かると執拗なまでに声をかけてくる。
驚いたのは「持ってけドロボー」など、思わず噴出すような言葉をかけられた。
この時、kappaはインターネットカフェでメールをしていた。
買い物も終了し、土産物を入れる大きめのかばんを探していた。
そんな時、若いトルコ人男性に声をかけられた。
「どうしたの?日本人でしょ?僕も、東京の吉祥寺に住んでるんだ。たまたまトルコに帰省してて・・・。
何か探してるの?一緒に手伝うよ!」と、”日本語ペラペラ"!何となく安心してしまい思わず、頼ってしまった私が悪い・・・。
「僕の知り合いのオフィスなんだよ!」という一見、デザイン事務所のような場所のテラスに招かれた・・・。
ちょっと、話すだけのつもりが、鞄からビデオカメラを取り出し、「ちょっと今からビデオを撮りますから、ちょっと胸の所を見せて・・・」
「は、はい?何で?何すんの!ちょっと・・・大声出すよ!」と、私は後ずさりした。
「ごめんよ!ごめん!じゃあ、キスしてもいい?」って、「いいわけないだろ!バカヤロー」と、思わず叫び、
全力でkappaがメールをしているカフェまで走った。

カフェで、今までのいきさつをkappaに話しても、「へ〜ぇ・・・。女は大変やな!常に身の危険があるからな!その点、男は楽やで!」って、
「それだけかい?!」たしかに、ホイホイ付いていった私が悪いけど、もうちょっと心配しておくれよ・・・。
でも、まあそういう所がkappaなんだ。


この旅行で、色々なことを学んだ。特に、身の回りに注意して自分の身は自分で守るということだ。(Kappaと一緒でも!)
私は、この旅行に行くまで、海外旅行はパックツアーで、しかも、現地のコーディネーターがついてきてくれるものに行くことが多かった。
ましてや、大衆食堂のようなロカンタでの食事なども経験も無かった。
米をリュックに入れて歩いていたので、安宿に着くといつも二人で米を炊いたり、洗濯も、適当に洗面所で手洗いすることも多々あった。
ひどい時は、何日もシャワーにも入れないことも・・・。
そして、旅先でチケットやビザを自分たちで申し込みながら旅するというのも初めての経験・・・。
英語力の必要性を痛感したし、全てにおいて節約しながらの旅行。とにかく、初めてだらけだった。

旅行の前は、「kappaと一緒に居たい!」と、思って旅に出たけれど、旅行中半分ぐらいは喧嘩していた。
旅行に出る前、お互いに離れて生活していたこともあり、何となくしっくり来なかったし、本当にこの人と結婚なんてできるのかしら?
なんて、思いながらkappaを見ていたことも多々あった。お互いに、旅が過酷な故に余裕がなかったのかもしれない。
けれど、予定通りkappaとの貧乏旅行をすることが出来た。
そして、この旅行に行ったからこそ、二人の団結力というのも培われたといっても過言ではない。
トルコのアタチュルク空港から、1人で米10ドルだけをポケットに入れて、ドイツ・フランクフルト経由で、(米10ドルでケーキセットを食べて
しまったので、ほとんど一文無しでした。もちろん、成田ではすぐにATMへ直行でした。)成田へと帰国した。
この後、kappaは一人、ギリシャやエジプト、東南アジアを経由して帰国したのだった。
そして、この旅の旅費は二人で総額36万円。安いのか、高いのか分からないけれど、値段には変えられない経験をすることが出来た。


  〜最後に・・・〜


今回で、この貧乏旅行記は最終になります。最後まで、読んでくださいまして大変ありがとうございます。
この旅行記を書くにあたり、当時の日記を読み返すと、本当によく喧嘩していたものだと笑ってしましました。
貧乏状態〜極限ギリギリなので、本性丸出し・・・かっこつける余裕無し・・・・と、いう状況でした。
日々、旅して歩くのでお互いが必死でしたから・・・。

喧嘩ばかりしていた私たちですが、この旅行から2年後に、ハワイ・オワフ島で結婚式をあげました・・・。
そして、現在二人の男の子に恵まれてにぎやかに暮らしています。
結婚後は、名古屋、大阪と、転々として現在、ここアデレードに在住しています。
私は、転々とすることに慣れているので、海外への移転もあまり動じることなく受け入れられました。
でも、きっと、この貧乏旅行が私の海外生活へのベースになっているのだと思います。
日本に居ると、なかなか時間を作って海外へ出て、色々な文化に出会えることって難しいですが、是非、時間とお金に余裕があったら、
是非行ってみてください。
色々な人々に出会ってたり、きれいな風景を見たり、自分の価値観が覆るような経験もするかもしれません。
少なくても、私は刺激を受けた一人でした・・・。

これから先、また貧乏旅行に行けるチャンスがあったら、是非行ってみたいと思っています・・・。
今度行く時は、またkappaと一緒かな?息子たちとかな・・・笑

〜完〜


2005年10月23日
SUMIN 編集