なぜ、移住?
移住までの流れ
2001年の春に長男出産後のある日、妻SUMINに移住の夢を告白
その時、3年計画で2004年に移住に向けて日本をたつ事を計画
永住権セミナー等参加したり、情報収集や計画を立てる一方、お金を貯める。
2002〜3年の段階で、日本でのサラリーマンでの職歴・経験を生かして、独立技術永住ビザの申請(point制)を
考えるが、どのような手段を考えても、5〜10 point足りず、directに独立技術永住ビザ申請を断念
2003年後半 オーストラリアの日系会社に就職活動をし、ビジネスビザのスポンサーに
なってもらい渡豪・段階を踏んで永住権を取得する事を計画
agentを通して話を進めるが、活動段階で日本とオーストラリアが地理的に遠い点、
自分の英語力&職務能力(手に職をもっているか?)の点、現在のビザの状況等、色々な点でまだまだと
いった状況で雇用頂ける会社は皆無
そんな中、2003年末 オーストラリア・シドニーに単独渡豪
agentを3件周り、だした結論が、学生として2年間学び、実務経験免除で申請できる
新卒独立永住ビザ(後日詳細を書きます)にチャレンジする事
そのような手段があると言うことは以前より知っていたが、自分の中で学生になる(=無収入になる)と言うのは、
最初の頃は、選択肢外だった。
早速、agentを通して、クリスマス休暇明けの学校に行き、入学の為の英語力テストを受けた。
それ自体は、非常に簡単だったので、入学許可を無事にもらい、9月からの入学で内定を貰い、日本に帰国。
しかし、2004年4月 移民法が改正され、これまでの115点と言うハードルから120点にあがることが発表される。
Sydneyの学校を2年間行っても、そのままでは永住権が取れないことになり、振り出しに戻る。
そんな中、bonus pointをとる手段で、さらに5点上乗せを考える。その方法が、地方の学校に2年間行けば、
5point貰えるというもの。
Adelaideが州都でありながら、その地方pointがカウントされる都市で、自分が希望するコースが
州立職業学校(TAFE)にあることがわかり、そこに照準を合わせることに。
ただし、英語力を公的な英語テスト IELTSで証明しなくてはいけない事に。
次の手紙は、そのIELTS testを受ける2週間ほど前に家族宛に書いた手紙です。
(ちなみに、IELTSでは、その2週間後のテストで、無事にTAFEが要求する点数をclearしました)
2004年7月に再度目標・計画を建て直し、決断し直し、それを家族3人に対して手紙を書いた。
その手紙から抜粋・編集して、なぜ、移住を決断したかを紹介したいと思います。
2005年2月 KAPPA
今まで日本でやってきた仕事から離れ、オーストラリアでシェフとして生きていく事を決断した理由に、料理であれば日本人としてのメリットを
海外で生かせる、勝負できると思ったからだ。 それが、総合的な日本料理であれば、腕は無いが、何か数点に絞った専門店であれば、
今からでも腕を磨き勝負できるし、料理の味以外の色々な要素も含めた、知恵と工夫とバイタリティを組み合わせれば、絶対成功する!
と、確信したからだ。そんな事を語ったページです。
アデレードでの僕の夢 日本料理屋 (05年4月)
日本料理屋の夢を語る 2007年7月
2005年5月
KAPPA
移住への布石 前編 〜外国に興味を持ち始めたのは〜
移住への布石 後編 〜外国へ足を踏み入れたのをきっかけに〜
Suminコーナー
はじめに 渡航理由 英語力 日本で感じていた子育て 渡航までの準備 移住先はアデレード