新たなる道へ
~さよなら 海辺のホテル~
2007年9月
去年の11月から、10ヶ月間 Full timeで働いていたホテルの仕事を9月後半に辞めた。
びっくりした人もいるかもしれない。
2ヶ月前の7月後半には、新しくやらせてもらっているパンセクションも慣れてきて、順調だったのでは・・・?
その通りで、仕事自体は非常に楽しんでいた。
って言う事は、逆にクビ?
そういう訳でもない。
ホテルから見るグレネルグの海が好きでした。
毎日見ていると、海にも色々な表情があるって事が分かってくるんですよ。
理由は2つあって、1番大きな理由は、自分のビジネスに専念しようと思った事。
このビジネスの内容に関しては、又、近いうちに書きたいと思うが、
7月頃より、フルタイムの仕事とバランスをとって色々と動いていた。
しかし、とある事件で、限界を感じたのだ。
8月の後半に出張でメルボルンに行く予定があり、10日前には航空券の手配をし、準備をしていた。
予定していたのは、いつも休みの火曜日・水曜日だった。
が、前週の木曜日に勤務予定が出され、見てみると、その週に限って、僕の休みが水曜・木曜になっていたのだ。
航空券の手配はもちろん、先方にもアポをとっているので、そう易々と変更は出来ない。
Executive Chefに事情を説明したが、勤務表発表後の変更は認められず(誰か変わってくれる人を探せ。)
逆に、本業の仕事に差支えがあるので、「副業は、不愉快」と言われたのだ。
7月頃より、自分のビジネスが本格化する今年の後半には、専念する為、辞める予定にしていたが、
この8月末の一件で、
「これ以上の両立は不可能。中途半端な状態は、仕事場に対しても、自分のビジネスに対しても良くない。」と、判断し、
予定より早く辞める事にしたのだ。
働いていたレストランから見る夕焼け
たまに働いたアジアンカフェからの夕焼け
辞めた理由は、もう1つある。
それは、働く時間帯の問題だ。
これは、サービス業(Hospitality業界)の宿命だと思うが、
人が休んでいる時が、最も忙しい時であるので、
(僕の場合) 週末の土曜日と日曜日は2日間丸々、あとウィークデイ(月―金)の夜もほとんど家にいない10ヶ月だった。
結果、小学校1年生になる長男とは、僕の休日である火曜と水曜の夕方から夜にかけてのみ、会えるだけだったのだ。
そういう生活を日本でもしていたのなら、こっちでも妥協できたのかもだが、
日本では、夜や土・日は、家にいるという生活だった。
「この状況は、オーストラリアで求めていた生活とは違うなー。」
「これを今続けて得る物よりも、この段階で可能性にかけて、リセットする方が好結果をもたらすはず。」 と感じたのだ。
それでも、僕自身の気持ちの問題だけであれば、「石の上にも3年」の気持ちを持ち、別に辞めなかったと思う。
しかし、子供達の気持ち、日本から遠く離れた国で、精神的支えにならなくてはならない父親が不在の状況、
又、日本から遠く離れた国で、子供達への日本語の勉強や本読み、晩御飯作りから、風呂入れまで、
すべての家事を1人でしなくてはいけない、妊婦のsuminの状況を考えると、大きな疑問を感じるのは、必然だった。
自分がこの地に家族を連れてきたのに、家族にこのような環境をいつまでも、我慢させるのは・・・・
仕事が慣れてくるにしたがって、その思いは強くなっていたのだ。
新しく配属されたパンセクションも、こなせるようになり、これで、何処に行っても働ける自信がついたことも大きい。
1年半前の去年の3月に、このアデレードドリームに書いた事を思い出した。(下記)
「本当は、現地のレストランに行ったからといって、満足が続くとは思っていない。
結局、自分が目標として立てている自分のビジネスをやり始めることが、唯一の解決手段なのだと思っている。」
この気持ちをまさに今、予定通り実感している。
そして、ついに唯一の解決手段にのりかかろうとしている。
ちょっと形は違うけど、当初から予定していた通りに、確実に一歩一歩夢に向かって前進している。
これからが楽しみだ。
辞める1日前に送別会を開いてくれた。
僕にとっては、初めての、
どっぷりオーストラリア人社会に入っての仕事だったので、
色々勉強になったし、良い仲間に出会えたなーと思う。
本当の最終日
左) 別に僕が誕生日じゃなくて、僕がチョコレートで書いたもの。
この10ヶ月間一緒に働いたPastry chefのティーナが持ってきて、
「KAPPAが書いたんやろ。最後、記念に写真に撮っとけ」って。
右) メッセージ(寄せ書き)カードをもらったり、Sous chefからは、ワインを貰ったり
本当にありがとうございました。
2007年10月2日
KAPPA